六夜···百鬼夜行
百鬼夜行~巻之弐 雨···水虎
鳥山石燕『今昔画図続百鬼』には、「水虎はかたち小児のごとし。甲は綾鯉(せんざんこう)のごとく、膝頭虎の爪に似たり。もろこし(唐土)速水の辺(ほとり)にすみて、つねに沙の上に甲を曝すといへり」とあり、これは『和漢三才図会』の内容をそのまま下敷きにしており、河童ではなく中国の水虎をそのまま描いている例である。
日本では、江戸時代に河童のような川に住む妖怪の総称として、主に知識人の間で「水虎」という呼称が用いられていた。
水虎は、3・4歳の児童ぐらいの大きさで、体は矢も通さないほどに硬い鯪鯉(りょうり、センザンコウ)のような鱗に覆われている。秋になると沙の上に身を曝す。
また、生け捕りにした水虎の効能について『本草綱目』で述べるが、鼻をつまむことで使役することが出来る、と日本では従来解釈されてきた。
しかしこの箇所については、いまでは薬用としての解釈がされ「生け捕りして鼻を摘出/採取すれば、[その部分]はささいなことに利用できる」などと訳出される]。これでは曖昧だが、他の注釈等からより具体性をもたせることができる
生きた水虎から摘出する部分はじつは「鼻」ではなく「鼻厭」(「皋厭」)であると方智『通雅』等にみえe、その部位は生物の「陰」あるいは「勢」の事だと説明される]。皋厭を摘むということは即ち勢去(去勢)であり、つまりは生殖器の採取である。その部位は媚薬に使われるのだと『通雅』等に記載される。
日本における水虎
寛永年間に豊後国肥田で捕獲されたという水虎(河童のことを示している)
日本では江戸時代以降、『本草綱目』などの本草書を通じて「水虎」の知識が知られた。それを引用した寺島良安『和漢三才図会』も絵入りで水虎を掲載している。川にいる存在ということから、「河童」のような川にいるとされる存在の総称として医師や学者を中心に用いられた。そのため、捕獲された河童を写したとされる絵図にも、『水虎図』や『水虎説』、『水虎考略』などのように「水虎」という語が表題や本文に広く用いられている。柳原紀光『閑窓自語』の「近江水虎語・肥前水虎語」の項目]も、琵琶湖や九州にいる「河童」のことを「水虎」と漢字表記しただけに過ぎない。
日本には本来、中国の水虎と全く同じ性質を持つ妖怪はいないが、以上のような「河童たちを総称した水虎」という呼び方に起因する混用(日本の「河童」のことを述べる文章上も漢字表記が「水虎」と慣用されている)から、地方によっては「スイコ」という言葉は河童の別名のような感覚で用いられてもおり、東北地方や九州地方など各地に見る事が出来る。青森県に見られる水虎様と呼ばれる水神信仰にも、「水虎」という言葉の転用例が見られる。
百鬼夜行~巻之弐 雨···覚
覚(さとり)は、日本の妖怪の一つ。鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔画図続百鬼』に記述があるほか、日本全国で人の心を読む妖怪として民話が伝えられている。
飛騨や美濃(後の岐阜県)の山奥に、人間の心を読む妖怪「覚」が住むと述べられている。
飛騨美濃の深山に玃(かく)あり 山人呼んで覚と名づく
色黒く毛長くして よく人の言(こと)をなし よく人の意(こころ)を察す あへて人の害をなさず
人これを殺さんとすれば、先その意(こころ)をさとりてにげ去と云
挿絵にある妖怪画は、江戸時代の類書『和漢三才図会』にある玃(やまこ)をモデルにしたものと見られている。「玃」は本来は中国の伝承上の動物であり]、人の心を読むという伝承はないが、『和漢三才図会』では人の心を読むといわれる飛騨・美濃の妖怪「黒ん坊(くろんぼう)」を挙げ「思うに、これは玃の属だろうか」と述べている。『今昔画図続百鬼』にも、「覚」が人の心を読むという記述があるが、これは「黒ん坊」の記述を引いたものと見られている。
「玃」を「かく」とも読むことから、より簡単な漢字である「覚」が代字として用いられ、この「覚」が訓字で「さとり」と誤読されたことから、「玃」とは別種の「覚」という妖怪の伝承が生まれた、との解釈もある。
また、『今昔画図続百鬼』や『百怪図巻』などの妖怪画集に見られる妖怪「山彦」は玃がモデルとの説があるが、民俗学者・柳田國男は自著書『妖怪談義』において、覚が人の心を読むという昔話と、山彦が人の声を真似るという伝承を同根のものとしている。
民話
竜斎閑人正澄画『狂歌百物語』より「覚」
山梨県西八代郡の富士山麓の「おもいの魔物」や相州(神奈川県)の「山鬼」をはじめ、東北地方、中部地方、中国地方、九州地方など日本各地に、サルのような姿の怪物、または山男]、天狗、タヌキなどが人間の心を読む妖怪の民話が伝承されており、これら一連が「サトリのワッパ」として分類されている。
多くの民話では、山中で人間の近くに現れ、相手の心を読み「お前は恐いと思ったな」などと次々に考えを言い当て、隙を見て取って食おうとするが、木片や焚き木などが偶然跳ねて覚にぶつかると、思わぬことが起きたことに驚き、逃げ去って行ったとされている。同様の伝承は南北朝時代の『荊楚歳時記』でも紹介されており、こちらには漢代の『神異経』・『西荒経』に記載がある西方の山奥に住む人間の姿をした一本足の怪物山魈が登場する。この山魈は人の心は読まないものの遭遇すると高熱を発して死に至る妖怪であり春節の時期には人里に下りてくるとして非常に恐れられていたが、杣人が暖を取ろうと燃やしていた伐採した竹が爆ぜるのに驚いて逃げ帰って行き、春節に爆竹を鳴らす由来となっている。古典でこうした話を綴った文献としては、妖怪をテーマとした江戸時代の狂歌本『狂歌百物語』に「来(く)べきぞと気取りて杣(そま)が火を焚けば さとりは早く当たりにぞ寄る」「人の知恵さとり難しと恐れけり ぽんと撥ね火の竹の不思議を」などの狂歌がある。
前述のように民話の類型としての名は「サトリのワッパ」だが、「ワッパ」は童子を指すことから、本来は人の心を読み取る童子の話の意味で「サトリのワッパ」として伝承されていたとの指摘がある]。また、童子を山神の化身と見なし、「覚」は山神の化身である童子が零落して妖怪化した姿との解釈もある。
ニ夜 ···百鬼夜行~
巻之弐 雨 続巷百物語 参照
57···水虎(すいこ)
58···覚(さとり)
See You Again by_nagisa
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