"宇治拾遺物語···読解··解釈版"の記事一覧

087 宇治拾遺物語(巻4、069)

087 宇治拾遺物語 巻四 (69) 慈恵僧正戒壇築かれたる事   これも今は昔、 慈恵僧正は近江の国・浅井郡の人であった。  さて、比叡山に戒壇を築く許しが下りたものの、 人足を揃えることが出来ず、未だ、戒壇を築くことができなかった折のこと。  浅井郡の郡司と、慈恵僧正とは、師匠・檀家の間柄で親しくして…

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086 宇治拾遺物語(巻4、068)

086 宇治拾遺物語 巻四 (68) 了延に実因湖水の中より法文の事    これも今は昔、了延房阿闍梨が、日吉神社へ参詣した帰り道のこと。 琵琶湖畔、唐崎の辺りを通り過ぎつつ、「有相安楽行 此依観思」 というお経を口にしたところ、波の中から、「散心誦法花 不入禅三昧」 と、続きの経文句を誦す声が聞…

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085 宇治拾遺物語(巻4、067)

085 宇治拾遺物語 巻四 (67) 永超僧都、魚食ふ事   これも今は昔。 奈良の都の永超(えいちょう)僧都は、 魚が無ければ、午前も午後も、いっさい食事をされないような人だった。  さてこの永超僧都。 ある時、朝廷の法会のためしばらく京都へ滞在していたが、 その間、魚を食べることができなかった。 そ…

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